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世間ではハロウィンだとかで、繁華街で大騒ぎしている連中をテレビが映し出していた。

調べてみるとハロウィンとは「毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられているのこと。もともとは収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女お化け仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある[1]。」だそうだ。
日本人には関係ないだろうと思うのだが。

日本人だったら新嘗祭だろう。
だけど、新嘗祭も勤労感謝の日というどうでもいい名前だし。
昭和天皇の誕生日も「みどりの日」になってるし、何か怪しい力が働いているな〜、と勘ぐってしまうのは変か?どんどん日本が無くなっていくような感じさえする。

日清日露戦争も祝えとまでは言わないが、せめて他国並に英霊達に感謝をする日にできないものか。
知らない所でそんなイベントが行われているのかもですが。
日本とは戦争もしていない国が「日本との戦争に勝った日」のお祝いをしているし。

日本人はクリスマスよりお正月。
ハロウィンもバレンタインも関係ないでしょ・・・ジジイのヒガミか(>_<)




ガキの頃、親に買ってもらったフジペット(多分)というカメラをぶら下げて、山手線と平行して走っていた貨物線の写真を撮影しに行った記憶がある。
当時は3本レールだったOゲージも部屋で走らせてた。
須田町にあった交通博物館にも何度か行った。
ウイキによると、須田町にあったのは鉄道博物館ではなく交通博物館らしい。
2007年に開館した大宮鉄道博物館(てっぱくと呼ぶらしい)とは運営団体が異なり、関連性は無いんだとか。
開館のニュースは車内の広告などで知って、いつか行きたいと思ってはいたが大宮は遠い。

一大決心をして、はるばる二宮から大宮へ。
なんと!乗り換えなしで行けるんですよね。

都市交通大宮駅改札で鉄道には全く興味のない人と待ち合わせ(^_^;)
きっと「駅弁が食べれる」という言葉に乗せられてやってきたのだろう。
初の鉄道博物館、久しぶりのワクワク感。

そして、いきなりデコイチのお出迎え。


入り口ではパスモに情報を入れて、駅の自動改札と同じ要領で入館。
土曜ということもあって人は多い。
そのほとんどは子連れの若いお父さん、お母さん。


まずは腹ごしらえ。

売店で駅弁を買い、目の前の磐越西線展示車両の中で食べる。

旅気分最高です。

さて、どこから見たらよいのか分からず、階段があったので2階へ。
広さに圧倒される。

眼下には昔乗ったことがあろう同じ型の汽車や電車が展示されている。

すぐに下に移動。

明治5年に開業した日本初の鉄道で走っていた蒸気機関車も現物が展示されている。
凄い!


木造だった客車も作りが凄い。機関車はイギリス製だが、客車は日本人の大工さんが作ったそう。
 
昭和30年代幼稚園の頃か、祖母の葬儀に行く磐越東線は蒸気機関車だった記憶がはっきり残っている。調べてみるとD60らしい。
煙の匂いや音もはっきり覚えてます。
いったい何時間かけて行ったのでしょうか。ネット上で当時の時刻表を見ると上野〜郡山は恐らく6時間かかっていたようで、更に磐越東線で小一時間。
駅弁は黒磯で釜飯だったかな。
駅での停車時間もかなり長かったような。
冷凍ミカンは今でもあるのでしょうか。
美味しかったな〜。


こんなマニアックな展示も。
自分の鉄夫度など下の下でして。
ポイントマニアというのも存在するとか。
思い起こせばOゲージなどを走らせていても、ポイントの美しさってのは魅かれるものがありましたね〜。

 
さて、帰ります。
4時間か5時間位は歩き周り、かなり疲れましたが帰りは寄り道。



更にもう1件寄り道。
ドラゴンと伊保ありささんのライブでした。
これは偶然。

来年ジオラマがリニューアルオープンしたらまた「てっぱく」行きましょう。











シン・ゴジラを観た。

ゴジラを映画館で観るのは50年ぶり?
多分、最後に観たのが「三大怪獣 地球最大の決戦」。調べると1964年の公開。
東京オリンピックの年ですね。
モスラ・ラドン・ゴジラ等の単独怪獣映画も観た記憶があるので、調べてみると・・・ゴジラ・ラドンに続き1961年の公開だそう。
三軒茶屋の映画館で観たのだが、2本立てで、1本目は怪談物の映画だった記憶。
こっちの方が怖かった。
50年ぶりのゴジラ、予告編を何度か見て、やはり最近の特撮というかCGって言うんですか、素晴らしいと思い久しぶりみ観ようと思ったわけ。

日本人ならお分かりでしょうが、自衛隊が出動し攻撃するまでの面倒な手続き。
首相の決断力の無さなど、リアルな日本を表現していたかと。
でも、今後海外で上映されるのでしょうが、この辺りの表現て外国人が観たら訳が分からないのでは?
こんな危機になんでとっとと攻撃しないんだ、という矛盾。

武蔵小杉の高層ビルでの攻撃やら、丸子橋でのヒトマル戦車の攻撃はとても迫力があったが、物足りない。
自衛隊と米軍の戦いをもっと表現して欲しかった。
B2があっさりゴジラにやられてしまうし。
アメリカから派遣されてきた石原さとみとか全く現実的じゃないし、政治家やら官僚を描くのも良いが、もっと自衛隊の戦いや苦悩を表現して欲しかった。
芸能人の方々にも評判が良い映画のようですが、自分にはイマイチ物足りない映画だった。






8月13日は久しぶりに靖国神社に参拝。
思い返せばその昔、高校ベ◎連だったし、フォークゲリラ気取りと高校時代から左寄り。

これがカッコイイことだと思ってた。
同級生には中◎派バリバリの奴もいたし。
当時は渋谷・新宿騒乱、宇田川町交番・日比谷松本桜の焼打ちを実際に見た。
 
最近解散したアメリカ海軍特殊部隊みたいな名前の若者の団体。
これと同じだなあとつくづく思った。
現実の見えないチャンボツ達。
学生運動バリバリの当時の若者は今は60代後半になるのでしょうが、シールズのデモに参加していたのは、そんなオジチャンばかり。
これも全て戦後教育のお陰なのでしょうね。
 
さて、そんな左巻きの私がやっとマトモな考えの人になれたのは、母親が亡くなってからのこと。
相続の関係で大量の謄本を取りせた。
最古の謄本には嘉永4年(1851年)や安政6年(1859年)という記述もあった。
嘉永4年といえば徳川家慶の将軍時代、黒船来航の2年前。
安政6年は家茂で、最後の将軍慶喜の1代前。
でも、たった160年ちょっと前のことなんですよね。

で、その謄本の中に母親の弟がサイパンで戦死した記述があった。
「昭和19年7月8日時刻不詳サイパン島に於て戦死」24歳での戦死。
日付もあてにはならないだろうけど、調べてみればサイパン玉砕の1日前。
アメリカ軍の掃討作戦中に亡くなったのでしょうね。
現在生きていたら96歳。

この謄本の記述を見てから思いが変わる。
伯父さんは職業軍人でもない一般人。
職業軍人は死ぬのが仕事。勿論、これは尊敬に値すること。
「こんな沢山の方々のお陰で今の日本がある」と考えるのは自然でしょう。
だから、未だ戻らぬ伯父さんに会いに靖国神社に行こうと思ったわけ。
ただただ感謝の気持ちです。












何年か前に相続があった時、母の戸籍謄本等を取寄せた。
子供の頃から母の弟が戦死したことは聞いていた。

今では観光地サイパンで有名らしいが、当時は激しい戦闘があり全員玉砕だったらしい。
7月5日に「明後7日、米鬼を索めて攻撃に前進し一人よく十人を斃し以って全員玉砕せんとす」との命令が下されたそう。

戦死した日付も定かではないだろうが、記録では7月8日には残った日本兵に対する掃討戦があったようで、この時に亡くなったのかと想像してみる。

伯父さん達のお陰で今の日本がある。






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