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毎年12月15日16日、1月15日16日は世田谷ボロ市。
ガキの頃からお小遣いを握りしめ、近所のお姉さんと一緒に行ったもんだ。
東急バス弦巻営業所のバスの通りに出ると北風が冷たくて。とにかくボロ市は「寒い!」というのがガキの頃からの印象。
自由が丘で大井町線に乗換中に軌道検測車を発見。これはラッキー・・・と自分で思っただけね。
二子玉川で田園都市線に乗換。
ここ、オヤジとヤマベ釣りに行ったっけね。
桜新町駅下車。芝信用金庫側に出て新町公園の横を行く。
この新町公園の写真、木の生えている所は池だった。よくザリガニ釣りをしたもんだが、いつの間にか埋め立てられ、ローラースケート場になった。ここでもよくローラースケートを滑った。
そして、そのローラー中に空を見上げると自衛隊のブルーインパルス(?)が空に五輪の輪を描いたのが見えた・・・1964年10月10日。
ボロ市では特に買う物も無く、人ごみが嫌いなので松ケ丘小学校裏のプラネタリウム通りへ。
プラネタリウム通りなんてお洒落な名前になっていたが、55年前は蛇崩川沿いプラネタリウムのあった場所は豚小屋だった。
小学校の給食の残飯を運んでいたような記憶がある。
その松ケ丘小学校も校舎を見ると「祝・63周年」とボードが貼られていた。
この辺りの路地の奥の奥まで熟知しているので、ボロ市通りは横断しただけで目的地の友人が出店しているお店へ。
ふと交差点を見ると、大吉寺の梅ヶ丘方面へ抜ける道が拡張されていた。
以前、この辺りを歩いたのは何年前だろう。マンションも増えたね〜。
そして、久しぶりにプラチノでアンジュを買い、90歳になるオバチャンの家に。
とてもお元気で一安心。
そして、オバチャンが出してくれた甘酒・・・美味しかった〜。
近所の人の噂話で大盛り上がりでした
元自宅前を通り駅へ・・・良い街だと思う。
ロトでも当たったら戻って来るかね。
昔より台風が巨大化したとか、増えたとか言うがそんな風には思えない。
こんな時代だから過去の台風の記録は沢山ある。
生まれた家は世田谷だったが、当時の世田谷と言えば「東京のチベット」だ、「田舎」だのとけっこうバカにされていた(笑)
我が家はちょっと高台あって見渡す限り建物など殆どなかった時代。
不思議なことに大体が台風ってのは夜中に来る。だから余計怖い。
昔はすぐに停電になったしね。
オヤジがよく言ってたのは「キティ台風で家が傾いた」。
古い最初の家は大谷石の土台に乗っていただけだった。
よくこれで飛ばされなかったもんだ。
南側の雨戸も窓も外し、北側の玄関等も開け放ち「風を逃げさせて倒壊を防いだ」と言っていた。
このキティ台風は1949年8月31日に関東に上陸・・・生まれる前の話しだ。
生まれた年に上陸したのは13号のみ。
紀伊半島をかすめ名古屋に上陸、列島を縦断。
これは世田谷でも結構な荒れ方だったろう。
1951年〜2018年の台風経路図です。
https://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/typhoon/route_map/index.html
50年代だって台風が5個立て続けに上陸している年もあるし、温暖化で台風が巨大化しているとか言うけど、地球数十億年の歴史からしてみたらどうってことない平和な時代。
それは、海外への発送が増えたからで、しかも安いからだ。
EMSやePacketは素晴らしいサービスだと思う。
特にePacketは100g程度の荷物なら某宅配便で国内に送るより安い。
世界中1週間もあれば届く。税関次第だが。
地球の反対側の某国では税関の怠慢で1週間も滞るのが普通らしい。
こちらが心配して購入者に連絡すると「大丈夫、いつもそうなんだ。彼等は仕事をしない。ノープロブレム」だそうだ。
先ほどネット上で見たのだが、日本郵便は土日の配達(国内)を無くす方向で検討しているらしい。
ちょっと待て!9月1日からクリックポストの価格も値上げしたばかりだろう。
どこかの国の郵便じゃあるまいし。
海外の友人に言わせると、日本郵便の優秀さ、便利さ、親切さは信じられないくらいだそう。
日本郵便は集荷を依頼すれば荷物1個から集荷に来てくれる。
素晴らしいサービスだが、とにかく集荷時に提出する書類が多過ぎる。
以前もここに書いたかと思うが、1個のePacketを出荷するのにA4の紙で3枚を印刷する。
しかも、ここ1ヶ月程前から「国際郵便の危険物申告書」ってのにチェックを入れ署名して同時に提出・・・・元お役所だからだろうか、紙が大好きのようだ。
集荷に来ていただいても、郵便局に持ち込んでも処理が遅過ぎる。
ヤマトさんは、ピッピとスキャンしてレシートの様な物を印刷して荷物に貼り、半分をこちらの控えとして渡してくれる。その時間15秒くらいか?
日本郵便は同じような機械を使ってはいるが遅いし、いちいち捺印が必要。
ハンコがお好きなのも元お役所だからか。
先日、用事があったので他郵便局で海外への荷物を3個発送。
たった3個に15分もかかってた。
オフィス内も人が多いだけで、働いているんだかないんだか。
せっかく素晴らしいサービスを提供しているんだから、土日の配達を無くす前にもっとやることがあるんじゃないか。
後納関係のホームページも使い辛いし。
文句ばかり言ってしまったが、本当に世界に誇れる便利で優秀なサービス。
無駄の削減が先!理不尽な値上げはやめて!民間苛めもやめて!
東京国立博物館に行くのは何年ぶり?
小学校か中学校の時のツタンカーメン?メソポタミア展?
今回は特に国宝や重要文化財が奇跡の集結ということで、このとんでもない暑さの中、上野へ。
都心は暑いっ!
救いは前売りを買ってたので、炎天下のチケット売り場で行列することもなく入場できた・・・のは良かったけど、場内は満員電車並みの混雑。
これほど混んでるとは思わなかった。しかし、しっかりと色んな重要文化財を見ることができた。
そして、なんと言っても国宝の6点。
この6点だけは別の部屋に展示されていて、比較的ゆったりと見れた。
撮影禁止なのが残念だが、まあしょうがない。
撮影を許可されている場所があって、何点か土器が飾られている。
2時間以上じっくりと見学できた。
ニッポンの美の原点。感動でした。
しかし、映画のようにシニア割引があっても良いのでは?
小学校高学年以降、両親から戦争中の話を聞くこともあった。
高校に進学すると「日本は支那や朝鮮を侵略し、大勢の人を殺した悪い国」という考えが自分の中で勝手に独り歩きして、実際、高校時代には訳のわからないまま反戦運動に参加したり。
それが、とっても自己満足的なカッコ良さだと思い込んでいた。
友人の中にも大学時代は当時の過激派に所属している奴もいた。
自分は全く関係なく、バイクに夢中な10代後半〜20代を過ごしていた。
両親が亡くなり、色々と家の中を整理していたら古い写真が出てきた。
その中に父親が出征するときの写真があった。
赤紙が届いたのでしょうね。
どこの家の前かは分かりませんが、詰め襟を着た父親が大勢の人達に囲まれた写真。
父親の肩のタスキには「出征兵士・・・・君」と書かれている。
右手には国旗、左手には奉公・・・と書かれた袋?みたいな物を持っています。
若い・・・恐らく20代後半か30代になったばかりだろう。
自分が言うのも変だが眼光鋭くりりしい顔をしている。
釣りを教えてくれた父親とは別人の顔だ。
徴兵検査はその後だったのだろう、父親に病気が発覚して徴兵検査に落ちた・・・もし、実際に戦争に行って死んでたら自分は居ない。
相続関係で戸籍謄本等を取寄せ見ていたら、母方の兄弟にサイパンで玉砕した叔父の記述が。
亡くなったのはサイパン玉砕の1日前の日付になっていたかと思う。
両親の親戚関係も高齢で、当時の事を知る人も殆ど居なくなっているし、遺骨が戻っているのかどうかも分からない。
こんな事がきっかけで、靖国神社にも行ってみたくなった。
政治的イデオロギーなど全く関係なく、サイパンで戦死した叔父、そして200万に越えの兵士達、民間人。
今の平和があるのはこの方達のお陰です。
ただただ、それに感謝したかったこと。叔父にも感謝の祈りを捧げたかったので靖国神社に行くことになった。
戦後73年。
アメリカでも色々な文章が出てきていますね。
「正しい歴史」を知る事はとても大事ですし、先人達への供養にもなることでしょう。