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第2次世界大戦終戦の日は諸説あるようですが、一般的に日本では8月15日ですね。
小学校高学年以降、両親から戦争中の話を聞くこともあった。
高校に進学すると「日本は支那や朝鮮を侵略し、大勢の人を殺した悪い国」という考えが自分の中で勝手に独り歩きして、実際、高校時代には訳のわからないまま反戦運動に参加したり。
それが、とっても自己満足的なカッコ良さだと思い込んでいた。
友人の中にも大学時代は当時の過激派に所属している奴もいた。
自分は全く関係なく、バイクに夢中な10代後半〜20代を過ごしていた。
両親が亡くなり、色々と家の中を整理していたら古い写真が出てきた。
その中に父親が出征するときの写真があった。
赤紙が届いたのでしょうね。
どこの家の前かは分かりませんが、詰め襟を着た父親が大勢の人達に囲まれた写真。
父親の肩のタスキには「出征兵士・・・・君」と書かれている。
右手には国旗、左手には奉公・・・と書かれた袋?みたいな物を持っています。
若い・・・恐らく20代後半か30代になったばかりだろう。
自分が言うのも変だが眼光鋭くりりしい顔をしている。
釣りを教えてくれた父親とは別人の顔だ。
徴兵検査はその後だったのだろう、父親に病気が発覚して徴兵検査に落ちた・・・もし、実際に戦争に行って死んでたら自分は居ない。
相続関係で戸籍謄本等を取寄せ見ていたら、母方の兄弟にサイパンで玉砕した叔父の記述が。
亡くなったのはサイパン玉砕の1日前の日付になっていたかと思う。
両親の親戚関係も高齢で、当時の事を知る人も殆ど居なくなっているし、遺骨が戻っているのかどうかも分からない。
こんな事がきっかけで、靖国神社にも行ってみたくなった。
政治的イデオロギーなど全く関係なく、サイパンで戦死した叔父、そして200万に越えの兵士達、民間人。
今の平和があるのはこの方達のお陰です。
ただただ、それに感謝したかったこと。叔父にも感謝の祈りを捧げたかったので靖国神社に行くことになった。
戦後73年。
アメリカでも色々な文章が出てきていますね。
「正しい歴史」を知る事はとても大事ですし、先人達への供養にもなることでしょう。
小学校高学年以降、両親から戦争中の話を聞くこともあった。
高校に進学すると「日本は支那や朝鮮を侵略し、大勢の人を殺した悪い国」という考えが自分の中で勝手に独り歩きして、実際、高校時代には訳のわからないまま反戦運動に参加したり。
それが、とっても自己満足的なカッコ良さだと思い込んでいた。
友人の中にも大学時代は当時の過激派に所属している奴もいた。
自分は全く関係なく、バイクに夢中な10代後半〜20代を過ごしていた。
両親が亡くなり、色々と家の中を整理していたら古い写真が出てきた。
その中に父親が出征するときの写真があった。
赤紙が届いたのでしょうね。
どこの家の前かは分かりませんが、詰め襟を着た父親が大勢の人達に囲まれた写真。
父親の肩のタスキには「出征兵士・・・・君」と書かれている。
右手には国旗、左手には奉公・・・と書かれた袋?みたいな物を持っています。
若い・・・恐らく20代後半か30代になったばかりだろう。
自分が言うのも変だが眼光鋭くりりしい顔をしている。
釣りを教えてくれた父親とは別人の顔だ。
徴兵検査はその後だったのだろう、父親に病気が発覚して徴兵検査に落ちた・・・もし、実際に戦争に行って死んでたら自分は居ない。
相続関係で戸籍謄本等を取寄せ見ていたら、母方の兄弟にサイパンで玉砕した叔父の記述が。
亡くなったのはサイパン玉砕の1日前の日付になっていたかと思う。
両親の親戚関係も高齢で、当時の事を知る人も殆ど居なくなっているし、遺骨が戻っているのかどうかも分からない。
こんな事がきっかけで、靖国神社にも行ってみたくなった。
政治的イデオロギーなど全く関係なく、サイパンで戦死した叔父、そして200万に越えの兵士達、民間人。
今の平和があるのはこの方達のお陰です。
ただただ、それに感謝したかったこと。叔父にも感謝の祈りを捧げたかったので靖国神社に行くことになった。
戦後73年。
アメリカでも色々な文章が出てきていますね。
「正しい歴史」を知る事はとても大事ですし、先人達への供養にもなることでしょう。
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