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私などが大先輩などとお呼びするのも失礼な話しなのでしょうが、トミ藤山さんという歌手をひょんなことから知って本を購入。
単行本を買うなど何年ぶりのことか。
でも、古本屋さんで買ったんですけどね。

御年73歳になられたと思いますが、現在でも精力的に活動を続けていらっしゃいます。
この年代のミュージシャンの話しって本当に面白いんですよ。
元プロピアニストで世田谷上野毛で焼鳥屋を営んでいる「まえだ」さんも同年代ですが、呑みに行くとよく昔話を聞かせてくれ、大笑いさせてもらってました。
ホラ話、ヨタ話、武勇伝・・・ここには書けない事まで(>_<)
当時はウエスタンやらハワイアンが大人気だったらしく、ミュージシャンも1晩で何万(当時の金で)も稼げたそうですね。
良い時代だったみたいです。
さて、話しをトミ藤山さんに戻しますが、東海の美空ひばり「山路美鳩」としてデビュー。
当時の美空ひばり人気はとんでもなかったそうで、レコード会社があやかって付けた名前だそうです。
その後はベース回りで段々と人気が出て、ついにはラスベガスで大成功を収めますが、その年は東京オリンピックの年で、マスコミもそんなトミ藤山さんのことは全く報道しなかったとか。
帰国後は日本のレコード会社の体制も変わってしまい、再びベース回り。
そして、なんとベトナム最前線へ慰問。
2度程ベトコンの襲撃にあって命拾いをしたとか。
その後、15年程音楽から遠ざかりますが、2004年に復活。
アルバムはアメリカでヒットチャートに昇ったそうです。
ギターの腕前もかなりのもので、エレキギターもまだ日本には入ってきてない頃、彼女のお父さんがエレキギターもどきを作ったり、無線で音を飛ばすマイクやらギターアンプを作ってしまったそう。
これって、1950年代の話しですよ。
特許でも取得しておいたら・・・と思いますが、当時たまたまそれを見ていたSONYの技術者と名乗る男に、お父さんは詳しく技術的な説明したそうです。
東京でライブがある時には1度拝見したいと思います。
YouTubeにも何本か映像もありますけど。
ジャンルは違えど心に響く物は響くというお話でした。
単行本を買うなど何年ぶりのことか。
でも、古本屋さんで買ったんですけどね。
御年73歳になられたと思いますが、現在でも精力的に活動を続けていらっしゃいます。
この年代のミュージシャンの話しって本当に面白いんですよ。
元プロピアニストで世田谷上野毛で焼鳥屋を営んでいる「まえだ」さんも同年代ですが、呑みに行くとよく昔話を聞かせてくれ、大笑いさせてもらってました。
ホラ話、ヨタ話、武勇伝・・・ここには書けない事まで(>_<)
当時はウエスタンやらハワイアンが大人気だったらしく、ミュージシャンも1晩で何万(当時の金で)も稼げたそうですね。
良い時代だったみたいです。
さて、話しをトミ藤山さんに戻しますが、東海の美空ひばり「山路美鳩」としてデビュー。
当時の美空ひばり人気はとんでもなかったそうで、レコード会社があやかって付けた名前だそうです。
その後はベース回りで段々と人気が出て、ついにはラスベガスで大成功を収めますが、その年は東京オリンピックの年で、マスコミもそんなトミ藤山さんのことは全く報道しなかったとか。
帰国後は日本のレコード会社の体制も変わってしまい、再びベース回り。
そして、なんとベトナム最前線へ慰問。
2度程ベトコンの襲撃にあって命拾いをしたとか。
その後、15年程音楽から遠ざかりますが、2004年に復活。
アルバムはアメリカでヒットチャートに昇ったそうです。
ギターの腕前もかなりのもので、エレキギターもまだ日本には入ってきてない頃、彼女のお父さんがエレキギターもどきを作ったり、無線で音を飛ばすマイクやらギターアンプを作ってしまったそう。
これって、1950年代の話しですよ。
特許でも取得しておいたら・・・と思いますが、当時たまたまそれを見ていたSONYの技術者と名乗る男に、お父さんは詳しく技術的な説明したそうです。
東京でライブがある時には1度拝見したいと思います。
YouTubeにも何本か映像もありますけど。
ジャンルは違えど心に響く物は響くというお話でした。
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