606. 605. 604. 603. 602. 601. 600. 599. 598. 597. 596.
10月某日、親戚関係の通夜に参列のため東北新幹線に乗る。

撮り鉄でも乗り鉄でもないのだが、子供の頃から電車は好きだったし、今回も郡山に行くのに水戸から水郡線で・・・なんて思っていたのだが時間的に無理。
今どき郡山なんて缶ビール1本呑めないくらいに早く着いてしまう。
新幹線郡山駅に降り立つのは初。

そして、爺さんの葬式の時以来の磐越東線に。これが約50年ぶり。
当時は蒸気機関車だった。いや、確実に蒸気機関車だったのは婆さんの葬儀の時で、次に爺さんの葬儀の時にはディーゼルカーだったか。
このディーゼル気動車の音も好きだ。

母親は昭和初期にこのレールの上を通って東京に出て来たんだな・・・。
この地には親戚関係の方々が大勢住まわれているのだが、そう何度も行ったことが有るわけでもない。
夏休みには母の生家(当時は母の兄が住んでいたはず)に遊びに行った。

Googleで見れる母の生家。
早朝、廊下から見た桑畑の一面の霧。
従兄弟達と裏山に登ったことや、近くの小川を堰き止めて泳いだことも記憶に残っている。
やはり、自分の血が絆がっている場所なんだと改めて思う。


ディーゼル気動車は当時のままであろう古いトンネルを抜け、山と畑の中を走り目的の駅に着く。

しばし写真を撮ったりしてから改札を出た。

斎場まではタクシーで10分程。
見覚えのある顔も何人かいらっしゃったが、最後にこの地に来たのは父の納骨で昭和の終わり。
通夜振舞いの席で声をかけてくれたのが、喪主である従兄弟の長男。
彼とは何度も会っているわけでもなく、会った頃は彼もまだ少年だったはず。
彼は私を一目見て分かったそうだ。
今回初めて知ったが、従兄弟の子供のことを従甥(じゅうせい)と言うそうだ。なんという響き。
H君、でいいよね〜。
もう1人、20年ぶりに会う従兄弟M氏が居た。今や誰も住んでない母の生家を守ってくれている方だ。

従兄弟と従甥が集まっての記念撮影。

この2枚は自分の中で貴重なショットだ。
帰りには駅近くの店で従兄弟M氏と酒を酌み交わし、故人を偲びつつ血縁関係ならではの話に花が咲いた。

翌日、再び磐越東線に乗りこの地を後にした。









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