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時系列がめちゃくちゃになっていますが・・・・5月4日、5日はRADATAP Duo大阪ぷちツアーでした。
京都では2回ほどライブを演らせていただきましたが、大阪では初めて。
しかも、初日は西成のど真ん中「難波屋」さん。
西成といえば、東京の山谷。今の山谷はどうなっているのかは知りませんが、その昔は「普通の人」が立寄れない場所というイメージ。
何度か隅田川駅(貨物駅)に行った時に通ったような記憶がありますが、路上でドラム缶焚き火はしてるし、昼から酔っぱらっている人達もたくさん。そんなイメージが未だに脳裏に焼き付いてます。
最初の大阪は、高校の修学旅行。新大阪からフェリーの港まで。そこは大阪港だったのかは記憶にありませんが。まあ、大阪市内は通過しただけですね。
そして、次に20歳過ぎてから京都〜大阪とライブハウス巡り。
京都では磔々と拾得。大阪がバーボンハウスでしたか・・・記憶が曖昧。でも、道頓堀の食い倒れ人形や、大きなカニ、グリコの看板を見ました。
当時は日本全国炉端焼き風の居酒屋が流行っていましたよね〜。
道頓堀だったのか、これまた記憶にありませんが、炉端焼きに入りました。
そこで、納豆を注文したら店の主人に「んなもんあるわけないやろ、出てけや」と怒られましたね〜。今ではどうなのか知りませんが、納豆は関東から北の食べ物だったのでしょう。
東京生まれ、東京育ちから見ると大阪は異国同然。行くのにはパスポートが要るとか要らないとか・・・
さて、新大阪で地下鉄に乗換えますが、いきなりエスカレーターで迷惑そうな視線を浴びました。大阪はエスカレーター左側が歩く人。東京と反対なんですね。
そんな大阪は西成のど真ん中「難波屋」さんでのライブです。
ホテルチェックイン後、御堂筋線で西成に向かいます。動物園駅で下車。
地上に出ると雰囲気がヤバイ
この路地に入るまでは「まあ昔の川崎っぽい感じかな」と思っていたのですが・・・。
この先のガードを潜ると左手に難波屋とiPhoneが教えてくれます。
そして、この店の前に差し掛かった時、西成の洗礼が。
店前のテーブルでおっちゃん達が飲んでます。
そのテーブルの1人が「おい!お前!歳いくつや?!男か女かはっきりせいや!!」と怒号が
ホルモン焼きの良い臭いがして「イイカンジで昼間から飲んでるな〜、ホルモン焼き一度食べたいな〜」と思って店を見てたのですが・・・びっくりして足早にガードを潜ります(笑)。
ガードを潜るとこんな感じ。
これが西成か・・・と少々ビビリ気味。
そして次の角を曲がると見え ました。この青い看板。
これがあの「難波屋」か・・・・。
しっかり飾ってくれてました。
更に店内にも。
西成のこんなディープな所で受けずに、ビール瓶でも飛んできたらどうしようと思いつつ店内のメニューを見ると・・・・・。
これが西成価格ですよ。
時間が昭和で止まっているかのよう。
店を入るとカウンターだけで、奥がステージとテーブル席があります。
カウンターで飲んでるのとステージのテーブル席は堺が無いのですが、別世界のような(笑)
今回は2ステージ。
いよいよ始ります。
ファッツボトルの池上氏も来てくれました。嬉しい限りです。
残念ながら写真が無い・・・撮った記憶があるのですが。
テーブル席もお客様で埋まり、皆様ノリも良く大変気持ちよく2ステージを演ることができ、更に時間ギリギリまでアンコールも頂き、ありがとうございました。
大阪の愉快な友人達と。
そして、筒井マスターと記念撮影。
諸事情によりライブは21時まで。
しばらく難波屋メニューを楽しんでから、まだ時間が早いので次の日ライブ予定のシカゴロックへ行くことに。
雰囲気あります。
塩山マスターにご挨拶。
マスター、明日はよろしくお願いいたします。
おおきに。
京都では2回ほどライブを演らせていただきましたが、大阪では初めて。
しかも、初日は西成のど真ん中「難波屋」さん。
西成といえば、東京の山谷。今の山谷はどうなっているのかは知りませんが、その昔は「普通の人」が立寄れない場所というイメージ。
何度か隅田川駅(貨物駅)に行った時に通ったような記憶がありますが、路上でドラム缶焚き火はしてるし、昼から酔っぱらっている人達もたくさん。そんなイメージが未だに脳裏に焼き付いてます。
最初の大阪は、高校の修学旅行。新大阪からフェリーの港まで。そこは大阪港だったのかは記憶にありませんが。まあ、大阪市内は通過しただけですね。
そして、次に20歳過ぎてから京都〜大阪とライブハウス巡り。
京都では磔々と拾得。大阪がバーボンハウスでしたか・・・記憶が曖昧。でも、道頓堀の食い倒れ人形や、大きなカニ、グリコの看板を見ました。
当時は日本全国炉端焼き風の居酒屋が流行っていましたよね〜。
道頓堀だったのか、これまた記憶にありませんが、炉端焼きに入りました。
そこで、納豆を注文したら店の主人に「んなもんあるわけないやろ、出てけや」と怒られましたね〜。今ではどうなのか知りませんが、納豆は関東から北の食べ物だったのでしょう。
東京生まれ、東京育ちから見ると大阪は異国同然。行くのにはパスポートが要るとか要らないとか・・・
さて、新大阪で地下鉄に乗換えますが、いきなりエスカレーターで迷惑そうな視線を浴びました。大阪はエスカレーター左側が歩く人。東京と反対なんですね。
そんな大阪は西成のど真ん中「難波屋」さんでのライブです。
ホテルチェックイン後、御堂筋線で西成に向かいます。動物園駅で下車。
地上に出ると雰囲気がヤバイ
この路地に入るまでは「まあ昔の川崎っぽい感じかな」と思っていたのですが・・・。
この先のガードを潜ると左手に難波屋とiPhoneが教えてくれます。
そして、この店の前に差し掛かった時、西成の洗礼が。
店前のテーブルでおっちゃん達が飲んでます。
そのテーブルの1人が「おい!お前!歳いくつや?!男か女かはっきりせいや!!」と怒号が
ホルモン焼きの良い臭いがして「イイカンジで昼間から飲んでるな〜、ホルモン焼き一度食べたいな〜」と思って店を見てたのですが・・・びっくりして足早にガードを潜ります(笑)。
ガードを潜るとこんな感じ。
これが西成か・・・と少々ビビリ気味。
そして次の角を曲がると見え ました。この青い看板。
これがあの「難波屋」か・・・・。
しっかり飾ってくれてました。
更に店内にも。
西成のこんなディープな所で受けずに、ビール瓶でも飛んできたらどうしようと思いつつ店内のメニューを見ると・・・・・。
これが西成価格ですよ。
時間が昭和で止まっているかのよう。
店を入るとカウンターだけで、奥がステージとテーブル席があります。
カウンターで飲んでるのとステージのテーブル席は堺が無いのですが、別世界のような(笑)
今回は2ステージ。
いよいよ始ります。
ファッツボトルの池上氏も来てくれました。嬉しい限りです。
残念ながら写真が無い・・・撮った記憶があるのですが。
テーブル席もお客様で埋まり、皆様ノリも良く大変気持ちよく2ステージを演ることができ、更に時間ギリギリまでアンコールも頂き、ありがとうございました。
大阪の愉快な友人達と。
そして、筒井マスターと記念撮影。
諸事情によりライブは21時まで。
しばらく難波屋メニューを楽しんでから、まだ時間が早いので次の日ライブ予定のシカゴロックへ行くことに。
雰囲気あります。
塩山マスターにご挨拶。
マスター、明日はよろしくお願いいたします。
おおきに。
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物心付いた時から何をするんでも渋谷。
ガキの頃は東横デパートや東横食堂に行くのも楽しみだった。
70年代になってバンドのリハーサルも蒲田や大森だったのだが、帰りは必ず渋谷に出なきゃ自宅に帰れないわけで。
本当によく渋谷で飲み歩いていた。
井の頭線ガード下周辺。今はイタリアアンだのお洒落な店が沢山できている・・・とは言えかなり当時の雰囲気はまだまだこの周辺は残っています。
右の坂を上がってすぐ左の「鳥升」もよく通ってた。手羽先とツクネが名物。
当時と店内もあまり変わってなく、2階の座敷も健在・・・多分。数年行ってないけど。
そして、写真の反対側。
「細雪」が2017年3月だったかで閉店。
最後に行ったのが2016年6月・・・この時に、店のおっちゃんが「来年3月で店閉める」と言っていた。しかし、数年前に20年ぶりだかで細雪に行ったのだが、おっちゃんもおばちゃんも覚えててくれて。「バンドやってた人達でしょ〜」だって。更にキツイ一発が「おめえも老けたな〜」(>_<)。
2016年6月にNZの友人と一緒に行ったのが結局最後になってしまった。もう一度、絶対行こうと思っていたのだが・・・残念!!
友人が仕事帰りに通り道なのでこんな写真を送ってくれた。
ピンボケでよく分からないが閉店のお知らせ。
この店のルールは必ず「本日オススメの品」を1品オーダーをしないといけない。
刺身が美味しい!!
とにかく安くて美味しい。
まだまだ大井町や、中央線沿線にはこんな庶民の味方みたいな店がある。
頑張ってほしいものですね〜。
はい、最後にSydney君との1枚。
ガキの頃は東横デパートや東横食堂に行くのも楽しみだった。
70年代になってバンドのリハーサルも蒲田や大森だったのだが、帰りは必ず渋谷に出なきゃ自宅に帰れないわけで。
本当によく渋谷で飲み歩いていた。
井の頭線ガード下周辺。今はイタリアアンだのお洒落な店が沢山できている・・・とは言えかなり当時の雰囲気はまだまだこの周辺は残っています。
右の坂を上がってすぐ左の「鳥升」もよく通ってた。手羽先とツクネが名物。
当時と店内もあまり変わってなく、2階の座敷も健在・・・多分。数年行ってないけど。
そして、写真の反対側。
「細雪」が2017年3月だったかで閉店。
最後に行ったのが2016年6月・・・この時に、店のおっちゃんが「来年3月で店閉める」と言っていた。しかし、数年前に20年ぶりだかで細雪に行ったのだが、おっちゃんもおばちゃんも覚えててくれて。「バンドやってた人達でしょ〜」だって。更にキツイ一発が「おめえも老けたな〜」(>_<)。
2016年6月にNZの友人と一緒に行ったのが結局最後になってしまった。もう一度、絶対行こうと思っていたのだが・・・残念!!
友人が仕事帰りに通り道なのでこんな写真を送ってくれた。
ピンボケでよく分からないが閉店のお知らせ。
この店のルールは必ず「本日オススメの品」を1品オーダーをしないといけない。
刺身が美味しい!!
とにかく安くて美味しい。
まだまだ大井町や、中央線沿線にはこんな庶民の味方みたいな店がある。
頑張ってほしいものですね〜。
はい、最後にSydney君との1枚。
CATFISHの次の日4月2日は荻窪チャーリーズスポット。
R-50 Small Blues Project とのタイバン。
この人達も70年代後半から80年代にかけて東京で「3流」なブルースを演っていた人達。
懐かしい時代でもあります。
今回はフルバンドではなくスモールなトリオです。
もうあまり覚えてないけど、オープニングにサンホセを演ったような気がします
突然「演ろうか?!」とか言って始めたわけで。
無謀な「実験」。
R-50 Small Blues Project 後半スタート。
3人共歌えるって凄いな・・・羨ましい
未だに小学校の音楽授業のトラウマから抜け出せない自分としては憧れる。
ハープの澤野氏は2人からずいぶんいじられ虐められてましたが、このトリオの新しい方向性でしょうか。
アンコールでは共演。
何を演ったのかも覚えては・・・ああ、思い出した!!

ブリング・イット・ホーム・トゥ・ミーだ。
なんで、この人達がこの曲なのかよく分からないまま終了。
さて、荻窪の夜と言えば「鳥もと」ですよね。
我々のライブが終わってから駆け付けてくれた人と一緒に「打ち上げ」。
お疲れさまでした。
また「鳥もと」に行きたいからライブお誘いください。
R-50 Small Blues Project とのタイバン。
この人達も70年代後半から80年代にかけて東京で「3流」なブルースを演っていた人達。
懐かしい時代でもあります。
今回はフルバンドではなくスモールなトリオです。
もうあまり覚えてないけど、オープニングにサンホセを演ったような気がします
突然「演ろうか?!」とか言って始めたわけで。
無謀な「実験」。
R-50 Small Blues Project 後半スタート。
3人共歌えるって凄いな・・・羨ましい
未だに小学校の音楽授業のトラウマから抜け出せない自分としては憧れる。
ハープの澤野氏は2人からずいぶんいじられ虐められてましたが、このトリオの新しい方向性でしょうか。
アンコールでは共演。
何を演ったのかも覚えては・・・ああ、思い出した!!
ブリング・イット・ホーム・トゥ・ミーだ。
なんで、この人達がこの曲なのかよく分からないまま終了。
さて、荻窪の夜と言えば「鳥もと」ですよね。
我々のライブが終わってから駆け付けてくれた人と一緒に「打ち上げ」。
お疲れさまでした。
また「鳥もと」に行きたいからライブお誘いください。