[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なにも敗戦の日にわざわざ行かなくていいでしょう。
大混雑の時に行かなくてもいいよね。
ってことで夕方の霧雨降る静かな靖国神社に行ってきました。
最初の大鳥居の端で一礼して進むとなんとも清々しい気分に。
歩いている人はまばらですが、西洋人と中国人がほとんどでした。
大手水舎でお清めしてから拝殿へ。
日本人と思われる男女の若いカップルがお参りしていただけ。
特攻隊員の像・母の像・パール判事(博士)碑・を見てから、いつも行ったことのない最深部まで行ってみました。
庭園があるんですね。神池庭園という名称です。
そして、軍用の犬・馬・鳩の碑も。
参道は別として、靖国神社の中って意外に狭いですね。
どんな気持ちで手を合わせてきたかと言えば1度も会ったこともないサイパンで玉砕した叔父、そして英霊の方々に「ありがとう。今の日本があるのはあなた方のお陰です」と。
子供時代に母親から「戦争で亡くなった弟がいる」とは聞いてはいたが、会ったこともないし、母の実家に写真もあったかどうかも記憶にはないです。
その母も亡くなり、相続用に戸籍を取ったところ、江戸時代の戸籍からあるんですね。
嘉永(1848〜1855)とか安政(1855〜1860)・・・・と記載がありました。
これにはちょっと驚きました。
そして、叔父の名前もあり「昭和19年7月8日時刻不詳サイパン島に於て戦死横須賀地方復員局人事部長◎◎」。
一億総左翼と言われた時代に、漠然と戦争はいけないんだという気持ちから新宿Fゲリラの集会やらベ平連のデモに参加していたこともありました。
今も昔もそうですが、こういう人達ってなんで日の丸を掲げないのでしょうね。
国を思う気持ちに右も左も関係ないでしょう。
我が家も昭和30年代終わりくらいまでは玄関に日の丸を掲げていた記憶もあります。
恐ろしいのは教育で、日本人は悪いことをしてきたと子供の頃から教われば国旗も国家も嫌いになるのは当たり前。
日の丸を掲げようものなら「あの家は右翼か」などと言われることでしょうね。
8月15日に日の丸の小旗を持って靖国神社に向かう若者に警察官が職質をしてきたそうです。
日の丸の小旗を持っていると不審人物なのでしょうか・・・。